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    <title>日米空母決戦 [動画と画像で楽しむ]</title>
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    <title>空母 飛龍</title>
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    <pubDate>Sat, 27 Mar 2010 18:16:18 +0900</pubDate>
    <description><![CDATA[&nbsp;もともと「飛龍」は蒼龍型空母の二番艦として建造される予定だったのが、当時すでに運用していた「加賀」などの実績から、様々な改良点が出てきており、最初から改良点を含んだかたちでの建造ということになった。例えば艦橋の位置を左舷に移動させたことや、飛行甲板の面積を大きくしたこと、舵を平行二枚舵から大きな一枚舵にしたなどが改良点である。その結果、「蒼龍」とはかなり異なる外見の空母として完成した。<br /><img width="400" height="284" alt="" src="/kuubo/Image/20100327180611.gif" /><br /><br />「飛龍」の大きな特徴となている左舷中央部の島型艦橋だが、実は左舷の艦橋は「飛龍」以外では「赤城」にあるだけ、言い方を変えれば左舷に環境がある空母は飛龍と赤城の２艦だけなのである。<br />これは艦載機のプロペラの回転方向の関係で左舷に艦橋があると艦載機の着艦時圧迫感を与えることがわかり、これ以降の日本空母では全て艦橋は右舷になったからである。<br /><br /><img width="400" height="139" alt="" src="/kuubo/Image/20100327181053.gif" /><br /><br />完成後は「蒼龍」とともに第二航空戦隊となり機動部隊の主力空母として常に行動をともにしている。昭和１７年81942年)６月５日のミッドウェー海戦では、山口多聞少将が座乗し「赤城」「加賀」「蒼龍」が被弾した後も戦闘を続け、３度も攻撃隊を送り出しており空母ヨークタウンを沈没させるという殊勲をあげた。しかしながら、その後の空襲で他の空母同様、被弾沈没した。<br /><br /><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B0006UG0BW?tag=zk-22&amp;camp=243&amp;creative=1615&amp;linkCode=as1&amp;creativeASIN=B0006UG0BW&amp;adid=1C3SZBTJVSBNJ6DNN5XD&amp;"><img width="300" height="300" alt="" src="/kuubo/Image/51U29RTzPQL__SL500_AA300_.jpg" /></a><br /><br type="_moz" />]]></description>
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    <title>空母 蒼龍</title>
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    <pubDate>Sat, 27 Mar 2010 10:55:23 +0900</pubDate>
    <description><![CDATA[&nbsp;ワシントン条約の制限範囲内で正式空母２隻を建造するという難題に、日本海軍は中型空母の建造をめざしたわけだが、それが「蒼龍」「飛龍」であり、結果として完成度の高い艦隊型空母の誕生となった。<br />「蒼龍」は排水量１万５９００トンとコンパクトな船体ながら艦載機搭載能力と速度において優れていた。<br /><img width="400" height="279" alt="" src="/kuubo/Image/20100327104333.gif" /><br /><br />「蒼龍」ができる前の日本海軍の大型空母は「赤城」「加賀」に代表されるように元々が戦艦からの改造空母だった。その点「蒼龍」ははじめから空母として設計開発された生粋の空母であり、当然空母としての性能を追求して開発されたもので、まさにその点で日本初の正式空母といっていいのかもしれない。<br /><br /><img width="400" height="144" alt="" src="/kuubo/Image/20100327104853.gif" /><br />「蒼龍」は「飛龍」とともに完成当初から第二航空戦隊に編入され、機動部隊の中枢をになうことになる。開戦時の真珠湾攻撃を成功に導き、その後はラバウル攻略、ポートダーウィン空襲、セイロン沖海戦と快進撃を支え続けた。<br />昭和１７年81942年)６月５日のミッドウェー海戦でアメリカ艦載機の急降下爆撃を受け、飛行甲板に３発のもの爆弾を受けることに。さらに艦内で大爆発を起こし被弾から８時間後に沈没することとなる。<br /><br /><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B00359EZ2W?tag=zk-22&amp;camp=243&amp;creative=1615&amp;linkCode=as1&amp;creativeASIN=B00359EZ2W&amp;adid=1YDFQSAKSQZXS7QNFVNK&amp;"><img width="300" height="300" alt="" src="/kuubo/Image/4153weSic9L__SS500_.jpg" /></a><br /><br /><a target="_blank" href="http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/0b2469b3.8cf85b7d.0b2469b4.d23c46c9/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f6255085%2f&amp;m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f13446036%2f"><img border="0" alt="" src="http://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f4992%2f49923003.jpg%3f_ex%3d128x128&amp;m=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f4992%2f49923003.jpg%3f_ex%3d80x80" /></a><br /><br /><br /><br type="_moz" />]]></description>
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    <title>空母 加賀</title>
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    <pubDate>Fri, 26 Mar 2010 19:40:53 +0900</pubDate>
    <description><![CDATA[&nbsp;空母加賀も空母赤城同様、八八艦隊計画により巡洋戦艦として作られており当時、世界７大戦艦に数えられていた長門型よりもさらに強力な戦艦としてほぼ完成しており、艤装工事に入っていたが、軍縮条約により空母への改造が決定したわけだが、装備はほぼ赤城と同じものだった。<br /><img width="400" height="213" alt="" src="/kuubo/Image/20100326194008.gif" /><br />やはり赤城同様に当初の三段飛行甲板を持った「加賀」は上海事変に出撃しており「鳳翔」とともに日本空母としては初めて外征するという記録を残している。<br /><br /><br />加賀は赤城よりも一足早く昭和９年(1934年)には大改装工事を済ませて近代空母に生まれ変わっており赤城とともに第一航空戦隊を構成することとなった。<br />昭和１２年(1937年)には日中戦争が勃発し再び上海沖合いに出撃。艦載機で中国基地を空襲し、さらに中国戦闘機と空中戦を戦い、空母艦載機としては敵機を初撃墜するという殊勲を上げている。<br /><img width="400" height="138" alt="" src="/kuubo/Image/20100326194030.gif" /><br />太平洋戦争では機動部隊に入り常に「赤城」と行動をともにすることになるのだが、艦底を損傷してセイロン沖海戦には参加できなかった。修理が終わった直後のミッドウェー海戦で「赤城」とともにアメリカ急降下爆撃機の爆弾を受け、赤城同様に沈没することとなる。<br /><br /><a target="_blank" href="http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/0c3a4feb.a1a2c5c5.0c3a4fec.d026b355/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fnorthport%2f1364798%2f&amp;m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fnorthport%2fi%2f10000929%2f"><img border="0" alt="" src="http://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fnorthport%2fcabinet%2fikou_20100317_001%2fimg10083958658.jpg%3f_ex%3d128x128&amp;m=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fnorthport%2fcabinet%2fikou_20100317_001%2fimg10083958658.jpg%3f_ex%3d80x80" /></a>  <a target="_blank" href="http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/0b2469b3.8cf85b7d.0b2469b4.d23c46c9/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f918060%2f&amp;m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f10658953%2f"><img border="0" alt="" src="http://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f7698%2f76982174.jpg%3f_ex%3d128x128&amp;m=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f7698%2f76982174.jpg%3f_ex%3d80x80" /></a>  <br /><br type="_moz" />]]></description>
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    <title>空母 赤城</title>
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    <pubDate>Fri, 26 Mar 2010 12:00:49 +0900</pubDate>
    <description><![CDATA[&nbsp;★空母 赤城★<br /><br />八八艦隊計画によて建造中だった巡洋戦艦「赤城」は、軍縮条約の結果、空母に改造されることが決定されたわけだが、元々の巡洋戦艦として完成したとすると、主砲は４１センチ連装砲で５基１０門を搭載する予定だった。<br /><img width="300" height="131" alt="" src="/kuubo/Image/20100326120013.gif" /><br />昭和２年(1927年)に完成した当初の赤城は、上の絵のように三段の飛行甲板を持つ独特な形状の空母であった。その理由は着艦と発艦の飛行甲板を別けることによる効率化を考えてのことであったが、実際に運用してみると不都合の方が多かったのである。<br /><br /><br />そのため昭和１０年(1935年)には、大改装工事が行われ全通式の飛行甲板を持った近代空母に生まれ変わることになった。しかし、最後まで２０センチ主砲は撤去されず、まだまだ過渡期の空母であることは否めなかった。<br /><img width="300" height="113" alt="" src="/kuubo/Image/20100326120032.gif" /><br />完成後の「赤城」は第一航空戦隊旗艦として常に日本海軍の中核空母であり続けた。太平洋戦争の開戦が予測される時期には機動部隊の旗艦となり、南雲中将が座乗することとなり真珠湾攻撃を大成功に導いた。その後も快進撃を続けるが昭和１７年(1942年)６月１日のミッドウェー海戦で爆撃を受け沈没することとなる。<br /><br /><a target="_blank" href="http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/0b2469b3.8cf85b7d.0b2469b4.d23c46c9/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f6244797%2f&amp;m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f13438143%2f"><img border="0" alt="" src="http://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f4992%2f49923010.jpg%3f_ex%3d128x128&amp;m=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f4992%2f49923010.jpg%3f_ex%3d80x80" /></a>  <a target="_blank" href="http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/0c3a4feb.a1a2c5c5.0c3a4fec.d026b355/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fnorthport%2f1364797%2f&amp;m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fnorthport%2fi%2f10000928%2f"><img border="0" alt="" src="http://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fnorthport%2fcabinet%2fikou_20100317_001%2fimg10083958652.jpg%3f_ex%3d128x128&amp;m=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fnorthport%2fcabinet%2fikou_20100317_001%2fimg10083958652.jpg%3f_ex%3d80x80" /></a>  <br /><br type="_moz" />]]></description>
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    <title>真珠湾攻撃　5</title>
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    <pubDate>Wed, 24 Mar 2010 12:46:38 +0900</pubDate>
    <description><![CDATA[&nbsp;第一攻撃隊が去った１時間後には第二次攻撃隊が襲い掛かっている。嶋崎少佐が率いる第二次攻撃隊は制空隊の零戦が３５機、急降下爆撃隊の九九艦上爆撃機が７８機、水平爆撃隊の九七艦上攻撃機が５４機の合計１６７機という第一次攻撃隊とほぼ同数の大編成であった。<br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324124213.jpg" /><br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324124258.jpg" /><br /><br />第二次攻撃隊に対しては、残存する飛行場から少数ではあるものの迎撃機もあがってくるし、まだ被害を受けていない艦からは猛烈な対空砲火があり、奇襲ではなく強襲といった方が正しい表現であった。<br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324124324.jpg" /><br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324124346.jpg" /><br /><br />しかし、湾外に逃げようとしていた戦艦「ネバダ」を急降下爆撃により着底。また戦艦「ペンシルバニア」「メリーランド」にも被害を与えアメリカ戦艦で無傷な艦は１隻も残っていなかった。<br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324124411.jpg" /><br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324124430.jpg" /><br /><br />南雲中将はこの二波の空襲だけで、作戦を打ち切ってしまう。<br />真珠湾内に敵空母は停泊していなかったので洋上のアメリカ空母に襲われるという危険が残っていたからである。慎重を期して撤退を開始してしまったのだが、あくまで結果論とはいえ、ここでは反復攻撃が必要だったのではという声は多い。<br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324124451.jpg" /><br /><br />たしかに戦艦部隊に対しては多大な損害を与えたのだが、真珠湾基地の重油タンクや工場施設にはほとんど損害を与えていないのも事実。せっかく奇襲攻撃に成功していながら、アメリカが再起するチャンスをおめおめと残してしまったというのは、やはり結果論ではなく大きな禍根といえるのではないだうか。<br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324124540.jpg" /><br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324124608.jpg" /><br /><br type="_moz" /><br />[movie:/kuubo/Movie/mvNgvgFu.]<br />]]></description>
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    <title>真珠湾攻撃　4</title>
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    <pubDate>Wed, 24 Mar 2010 12:03:00 +0900</pubDate>
    <description><![CDATA[&nbsp;淵田中佐率いる第一攻撃隊の奇襲は歴史的大成功であった。迎撃の戦闘機はおろか対空砲火の反撃も最初のうちはほとんどなかったのであるから、ある面やりたい放題といっところであったのだ。唯一の禍根は淵田中佐があげた信号弾を雷撃隊が見落とし、それで再度信号弾をあげたのだが２発あがるのを見た急降下爆撃隊が強襲と勘違いして雷撃隊よりも先にフォード島飛行場に爆撃してしまった。<br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324120148.jpg" /><br /><br />今回の攻撃で特筆すべきは村田少佐の指揮する雷撃隊の活躍である。<br />これは真珠湾攻撃のために開発された残沈魚雷の効果が大きかったといえる。<br />戦艦「ウエストバージニア」「カリフォルニア」「オクラホマ」などが沈没した。<br />続いて始まった水平爆撃では戦艦「アリゾナ」が火薬庫に直撃を受けて爆沈してしまう。<br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324120214.jpg" /><br /><br />また、島内にある飛行場の制圧に向かった急降下爆撃隊の戦果もすさまじく、ほとんどの飛行場の機能と駐機していた航空機を壊滅することに成功している。<br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324120239.jpg" /><br type="_moz" />]]></description>
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    <title>真珠湾攻撃　3</title>
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    <pubDate>Wed, 24 Mar 2010 08:05:34 +0900</pubDate>
    <description><![CDATA[&nbsp;第一次攻撃隊の接近はアメリカ軍に全くさとられることはなかった。実はレーダーには機影が捉えられていて報告もされていたのだが、その日アメリカ本土からB-17の編隊の飛来予定があり誰も、まさか日本軍の襲撃とは思わなかったのである。<br /><br /><img width="300" height="356" alt="" src="/kuubo/Image/P1040229.gif" /><br /><br />第一次攻撃隊は７時過ぎにはオアフ島に接近し、北側のカフト岬を回りこんで真珠湾へと向かった。この時点になっても迎撃に向かう戦闘機はなく、奇襲に成功を確信した淵田中佐は有名な<br /><strong>「我、奇襲に成功せり。」</strong>の電報を打ち、全編隊に突撃命令をくださしたのである。<br /><br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324080343.jpg" /><br />急降下爆撃隊はホイラー、ヒッカム、フォードなどの飛行場に向かい、水平爆撃隊と雷撃隊はフォード島東岸に停泊が確認されている戦艦部隊の攻撃に向かった。<br /><br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324080416.jpg" /><br />戦艦「ウエストバージニア」では国旗掲揚が行われていたが、そこに突如として空襲をかけられ、真珠湾は一瞬にして阿鼻叫喚の火の海につつまれることになった。<br /><br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100324080452.jpg" /><br type="_moz" />]]></description>
  </item>
    <item>
    <title>真珠湾攻撃　2</title>
    <link>http://blog.yu2.jp/kuubo/20386.html</link>
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    <pubDate>Tue, 23 Mar 2010 18:24:49 +0900</pubDate>
    <description><![CDATA[&nbsp;１２月８日の早朝、オアフ島の北方２５０海里まで達した機動部隊は、まず重巡「利根」と「筑摩」から水偵を発艦させ真珠湾上空の偵察を行ったあと、朝焼けが広がる５時５５分に第一次攻撃隊を発艦させた。<br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100323181559.jpg" /><br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100323181629.jpg" /><br />空母から発艦する零式２１型艦上戦闘機。<br /><br />「赤城」飛行隊長の淵田中佐の指揮する第一次攻撃隊は制空隊の零戦が４３機、急降下爆撃隊の９９艦上爆撃機が５１機、雷撃隊の９７艦上攻撃機が４０機、水平爆撃隊の９７艦上攻撃機が４９機、合計で１８３機という大編成゛あった。<br /><br /><img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100323182256.jpg" /><br />朝焼けの中、空母上空に飛び立つ艦上攻撃機。<br type="_moz" /><br />[movie:/kuubo/Movie/mvBGUtp4.]<br />]]></description>
  </item>
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    <title>真珠湾攻撃　1</title>
    <link>http://blog.yu2.jp/kuubo/20384.html</link>
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    <pubDate>Tue, 23 Mar 2010 17:30:07 +0900</pubDate>
    <description><![CDATA[アメリカ太平洋艦隊が集結する真珠湾基地に空母６隻の艦載機で大空襲をかけた奇襲攻撃。<br /><br />アメリカへの宣戦布告の直後に太平洋戦艦の主力を撃破するために発案された真珠湾攻撃は、今までの世界中で行われた海軍戦闘に前例の無い空母機動部隊による航空攻撃でした。<br />第一次、第二次の攻撃による戦果は戦艦だけでも沈没・着底が５隻、中破１隻、小破２隻、さらに喪失した航空機は約３００機とアメリカ太平洋艦隊の戦力を激減させるものでした。<br /><br />&nbsp;<img width="400" height="170" alt="" src="/kuubo/Image/20100323172916.jpg" /><br />空母上で出動を待機する艦上機。<br /><br />★完全な奇襲攻撃となった第一次攻撃隊の空襲<br />昭和１６年(1941年)１１月２６日、千島列島の単冠湾(ひとかっぷわん)に終結した南雲中将率いる機動部隊は真珠湾へ向けて出撃した。<br />空母「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」「翔鶴」「「瑞鶴」と戦艦「比叡」「霧島」を主力とする大機動部隊は日本海軍にとっても初めての編成であり、隠密裏にハワイ近海まで進出して航空攻撃で真珠湾基地を叩こうという狙いであった。<br /><br />１１月２６日という機動部隊の出撃の時点では、まだ日米関係は最後の交渉中であり、最終的に決裂した時に太平洋艦隊に先制攻撃をかけようというものであり、機動部隊の動きは絶対にアメリカ側に察知されてはならないものであった。<br />そのためわざと悪天候が続くと予想される北方航路をとり、航海は非常に困難なものだったと伝えられている。<br /><br />１２月７日になり、機動部隊はハワイからの哨戒圏内にまで入り日米関係の決裂の電報を受けた南雲中将は旗艦「赤城」にＺ旗を掲げさせ、有名な<br /><strong>「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ。」</strong><br />の訓示とともに、太平洋戦争の幕が切って落とされたのである。<br /><br type="_moz" />]]></description>
  </item>
    <item>
    <title>太平洋空母決戦について</title>
    <link>http://blog.yu2.jp/kuubo/20328.html</link>
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    <pubDate>Sun, 21 Mar 2010 09:54:16 +0900</pubDate>
    <description><![CDATA[周りを海に囲まれた日本という国は、かつてのイギリスがそうだったように軍事力としては海軍優先となるはずです。開戦への政治的動向(外交)や流れは別として島国日本の特徴です。<br />私は決して戦争が好きな人間ではありません。それどころか戦争はあってはならない人類にとって非人道的行動だと思っています。ただ、海は大好きです。海を愛する人も大好きです。海を守る人も、そしてわが国を外的から守る人も大好きです。そんな私の思いから太平洋戦争の海戦を私の視点で描きたいと思います。<br /><br />太平洋戦争における海軍の戦いは、戦前に日本海軍が考えていた戦艦同士の巨砲による艦隊決戦ではなく、空母機動部隊を中心とした航空戦に終始したと言っていいと思います。もちろん一部一部の戦局ではいろいろなケースはありましたが日米両軍の主力が激突する海戦ではほとんどが空母決戦というのが現実です。空母決戦ということは空母の性能はもちろんのことですが、プラス艦載機である航空機の戦いでもあったわけです。<br /><br />太平洋戦争と言えば、１９４１年１２月８日。トラ・トラ・トラで有名な真珠湾奇襲攻撃から海戦の幕が切っておとされるわけですが、空母が初めて集中運用される機動部隊による空襲で、それまでは航空機では撃沈できないといわれていた戦艦を沈めることに成功しました。これを機に日本軍は機動部隊をフル動員し、インド洋から珊瑚海海戦までを制することになったわけです。<br /><br />アメリカ海軍も機動部隊の優位性に気づきミッドウェイ海戦では日米の主力機動部隊同士が激突して海戦以来、はじめて日本軍は大敗をきっしてしまいます。主力空母を沈没された日本軍ではありましたが、それでも空母機動部隊としてその後も第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦までは戦術的な勝利は収めていました。<br /><br />その後の空母による戦いは戦術というよりは、明らかに生産能力による物量の戦いという側面が強く出ていてマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦で日本空母部隊は壊滅してしまいます。<br /><br />圧倒的な国力の差により日本は敗戦を迎えるわけですが、その中でも空母機動部隊による戦果は輝かしいものがあったと思っています。このブログでは日米空母機動部隊による海戦を私なりの視点から紹介していきたいと思います。<br /><img height="196" width="300" alt="" src="/kuubo/Image/kaga01.jpg" /><br />写真は空母加賀<br type="_moz" />]]></description>
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