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 日本の空母 

空母 飛龍

 もともと「飛龍」は蒼龍型空母の二番艦として建造される予定だったのが、当時すでに運用していた「加賀」などの実績から、様々な改良点が出てきており、最初から改良点を含んだかたちでの建造ということになった。例えば艦橋の位置を左舷に移動させたことや、飛行甲板の面積を大きくしたこと、舵を平行二枚舵から大きな一枚舵にしたなどが改良点である。その結果、「蒼龍」とはかなり異なる外見の空母として完成した。


「飛龍」の大きな特徴となている左舷中央部の島型艦橋だが、実は左舷の艦橋は「飛龍」以外では「赤城」にあるだけ、言い方を変えれば左舷に環境がある空母は飛龍と赤城の2艦だけなのである。
これは艦載機のプロペラの回転方向の関係で左舷に艦橋があると艦載機の着艦時圧迫感を与えることがわかり、これ以降の日本空母では全て艦橋は右舷になったからである。



完成後は「蒼龍」とともに第二航空戦隊となり機動部隊の主力空母として常に行動をともにしている。昭和17年81942年)6月5日のミッドウェー海戦では、山口多聞少将が座乗し「赤城」「加賀」「蒼龍」が被弾した後も戦闘を続け、3度も攻撃隊を送り出しており空母ヨークタウンを沈没させるという殊勲をあげた。しかしながら、その後の空襲で他の空母同様、被弾沈没した。





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タグ: 空母 航空母艦 飛龍 

posted by 旧日本海軍提督 at 18:16:18 |Comments(0)

 日本の空母 

空母 蒼龍

 ワシントン条約の制限範囲内で正式空母2隻を建造するという難題に、日本海軍は中型空母の建造をめざしたわけだが、それが「蒼龍」「飛龍」であり、結果として完成度の高い艦隊型空母の誕生となった。
「蒼龍」は排水量1万5900トンとコンパクトな船体ながら艦載機搭載能力と速度において優れていた。


「蒼龍」ができる前の日本海軍の大型空母は「赤城」「加賀」に代表されるように元々が戦艦からの改造空母だった。その点「蒼龍」ははじめから空母として設計開発された生粋の空母であり、当然空母としての性能を追求して開発されたもので、まさにその点で日本初の正式空母といっていいのかもしれない。


「蒼龍」は「飛龍」とともに完成当初から第二航空戦隊に編入され、機動部隊の中枢をになうことになる。開戦時の真珠湾攻撃を成功に導き、その後はラバウル攻略、ポートダーウィン空襲、セイロン沖海戦と快進撃を支え続けた。
昭和17年81942年)6月5日のミッドウェー海戦でアメリカ艦載機の急降下爆撃を受け、飛行甲板に3発のもの爆弾を受けることに。さらに艦内で大爆発を起こし被弾から8時間後に沈没することとなる。









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posted by 旧日本海軍提督 at 10:55:23 |Comments(0)

 日本の空母 

空母 加賀

 空母加賀も空母赤城同様、八八艦隊計画により巡洋戦艦として作られており当時、世界7大戦艦に数えられていた長門型よりもさらに強力な戦艦としてほぼ完成しており、艤装工事に入っていたが、軍縮条約により空母への改造が決定したわけだが、装備はほぼ赤城と同じものだった。

やはり赤城同様に当初の三段飛行甲板を持った「加賀」は上海事変に出撃しており「鳳翔」とともに日本空母としては初めて外征するという記録を残している。


加賀は赤城よりも一足早く昭和9年(1934年)には大改装工事を済ませて近代空母に生まれ変わっており赤城とともに第一航空戦隊を構成することとなった。
昭和12年(1937年)には日中戦争が勃発し再び上海沖合いに出撃。艦載機で中国基地を空襲し、さらに中国戦闘機と空中戦を戦い、空母艦載機としては敵機を初撃墜するという殊勲を上げている。

太平洋戦争では機動部隊に入り常に「赤城」と行動をともにすることになるのだが、艦底を損傷してセイロン沖海戦には参加できなかった。修理が終わった直後のミッドウェー海戦で「赤城」とともにアメリカ急降下爆撃機の爆弾を受け、赤城同様に沈没することとなる。





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posted by 旧日本海軍提督 at 19:40:53 |Comments(0)

 日本の空母 

空母 赤城

 ★空母 赤城★

八八艦隊計画によて建造中だった巡洋戦艦「赤城」は、軍縮条約の結果、空母に改造されることが決定されたわけだが、元々の巡洋戦艦として完成したとすると、主砲は41センチ連装砲で5基10門を搭載する予定だった。

昭和2年(1927年)に完成した当初の赤城は、上の絵のように三段の飛行甲板を持つ独特な形状の空母であった。その理由は着艦と発艦の飛行甲板を別けることによる効率化を考えてのことであったが、実際に運用してみると不都合の方が多かったのである。


そのため昭和10年(1935年)には、大改装工事が行われ全通式の飛行甲板を持った近代空母に生まれ変わることになった。しかし、最後まで20センチ主砲は撤去されず、まだまだ過渡期の空母であることは否めなかった。

完成後の「赤城」は第一航空戦隊旗艦として常に日本海軍の中核空母であり続けた。太平洋戦争の開戦が予測される時期には機動部隊の旗艦となり、南雲中将が座乗することとなり真珠湾攻撃を大成功に導いた。その後も快進撃を続けるが昭和17年(1942年)6月1日のミッドウェー海戦で爆撃を受け沈没することとなる。





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posted by 旧日本海軍提督 at 12:00:49 |Comments(0)

 日米空母決戦 

真珠湾攻撃 5

 第一攻撃隊が去った1時間後には第二次攻撃隊が襲い掛かっている。嶋崎少佐が率いる第二次攻撃隊は制空隊の零戦が35機、急降下爆撃隊の九九艦上爆撃機が78機、水平爆撃隊の九七艦上攻撃機が54機の合計167機という第一次攻撃隊とほぼ同数の大編成であった。



第二次攻撃隊に対しては、残存する飛行場から少数ではあるものの迎撃機もあがってくるし、まだ被害を受けていない艦からは猛烈な対空砲火があり、奇襲ではなく強襲といった方が正しい表現であった。



しかし、湾外に逃げようとしていた戦艦「ネバダ」を急降下爆撃により着底。また戦艦「ペンシルバニア」「メリーランド」にも被害を与えアメリカ戦艦で無傷な艦は1隻も残っていなかった。



南雲中将はこの二波の空襲だけで、作戦を打ち切ってしまう。
真珠湾内に敵空母は停泊していなかったので洋上のアメリカ空母に襲われるという危険が残っていたからである。慎重を期して撤退を開始してしまったのだが、あくまで結果論とはいえ、ここでは反復攻撃が必要だったのではという声は多い。


たしかに戦艦部隊に対しては多大な損害を与えたのだが、真珠湾基地の重油タンクや工場施設にはほとんど損害を与えていないのも事実。せっかく奇襲攻撃に成功していながら、アメリカが再起するチャンスをおめおめと残してしまったというのは、やはり結果論ではなく大きな禍根といえるのではないだうか。




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タグ: 真珠湾攻撃 パールハーバー 艦上戦闘機 艦上爆撃機 艦上攻撃機 

posted by 旧日本海軍提督 at 12:46:38 |Comments(0)
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